2012.01.20

visa

eharan 07 191.jpg

2011年12月初旬に、南部アルジェリアへの観光ビザが発行できない状況は、少しずつ改善されています。

当時、アルジェリアのサハラ砂漠で特にトラブルや事件がなかったが、アルジェリアの観光省は南部への観光ビザを発行しませんと突然決めました。その後、フランスや現地旅行会社とタッシリの国立公園がこの決定を訴え、改正を求めました。

現在のアルジェリア観光ビザの条件は以下の通りです:

北部:アルジェ、ガルダヤなど(他の地域は領事官へ問い合わせて下さい):観光ビザ発行期間=2日間

南部:ジャネット、タマンラセット:観光ビザ発行期間=3週間 。確実に取得できると言えない状況です。

年末のエリキキャラバンに応募していたお客さんがビザが取れなくなり、旅がキャンセルになりました。本当に申し訳ございませんでした。ビザの困難はいつまで続くのか分りませんが、今年中に48時間取得に戻る見込みが十分にあります。

今度、サハラ砂漠へ行きたい方は、十分に余裕を持って旅を企画して下さい。ビザ用の書類を提出してから(こちが用意する書類)、3週間を待たなければなりません。又、ビザが取れるかどうか100%確実ではないため、航空券を支払う前に、ビザの手続きを済ませて行くしかありません。パートナーのdestinaton Japonさんが、ビザを取得する間、フライトの要約を押さえて頂けますので、力になります。

2011年は日本にとっても、北アフリカにとっても、大変な時期でしたが、今年もよろしくお願いします。

サハラ・エリキ

 

アルジェリア大使館

〒153-0062 東京都目黒区三田2-10-67
Tel : 03-3711-2661, 03-3711-2542 FAX : 03-3710-6534
http://www.algerianembassy-japan.jp/ (HPではビザの情報まだ更新されていません)

2011.10.26

ティナリウェン、そしてカダフィ

















去年の11月、タッシリナジェール砂漠で録音されたアルバム。ティナ リウェンのメンバーはマリのキダル出身で、故郷では、マグレグ アルカイダ(AQMI)による誘拐事件が近年増加し、外国人立ち入り禁止になっていたか ら、アルジェリアのタッシリを録音の場として選んた訳だった。3週間くらい砂漠で立てたキャンプでは、ニジェールからも反乱時代のトゥアレグ仲間が沢山訪 れて来た。トゥアレグは、マリ、ニジェール、アルジェリアそしてリビアのサハラ砂漠にまたがる遊牧民で、密入国して、国境の向こう側にいる親戚を訪れるた めに何千キロを走るのは普通である。そこで、バンドリーダーのイブラヒム「アブレボン』が若い頃ジャネットで暮らしたことがあって、25年ぶりの地元の トゥアレグと再会した。アブレボンも、ティナリウェンの最初期のメンバーと共に、70代の終わりから、マリからアルジェリアへ出稼ぎに来ていた。そしてさ らに国境を越えて東へ行き、リビアまで辿り着いた。

当時、カダフィ大佐はチャッドとの戦争もあって、軍を広げようとし、 トゥアレグの若者を歓迎していた。73年、そして84年は、酷い干ばつが2回もサハラ砂漠を奪い、トゥアレグの遊牧生活の終わりになった。町の境に避難し ていた多くの若者は、昔、サハラの王様だった彼らの民族の惨めな姿を耐えられず、リビアに出稼ぎに行き、カダフィの軍に入った。実は、カダフィは西洋や政 府に反抗的なトゥアレグが好きで、リビアの国境は閉まっていた頃も、トゥアレグなら身分証なしでも入れたという話は多くの友達から聞いていた。カダフィ大 佐もベルベル族ということもあって、トゥアレグの戦士を関係ない戦争に巻き込んだこと一方、彼らに不可欠な軍の訓練を与えたに違いない。あの頃、リビアに いたトゥアレグの若者は、剣とらくだのことしか知らなくて、振れたことない近代的な世界を覚えるために残った。彼らには、故郷に帰って、独立したサハラの 国土を得るために反乱を起こすことを決めていたからだった。

ティナリウェンのメンバーも、カダフィのキャンプでカラシニコフを いじりながら、様々な地域から来ていた民族の文化に触れて、今まで聞いたことないレゲーやロック音楽も身につけた。何年後、サハラ砂漠に帰ったトゥアレグ は、政府と反乱を起こし、ティナリウェンは詩を書き、ギターを弾いてトゥアレグの未来を音楽で想像した。 エレキギターもカラシニコフと同様に、カダフィに受け継いだ革命の武器となって、大きいな役割を果した。それで最後に残ったのは、この悲しき、美しき「ギ ター」の音楽だった。
ティナリウェンの反乱の声は、当時カダフィがトゥアレグの見方でなければ、世界に広がることはできなかっただろうな、と思うとちょっと感動する、、でも、そんなこと、誰も気にしないよね〜

「独裁者のカダフィ」、、 トゥアレグの友達が彼のこと「気違い」と言っても、尊敬していた。私もカダフィが死んで、寂しい。西洋の偽善的な民衆主義より、まだ彼の方がましだった、、

2011.10.16

東京第4回友の会

elikikai4.jpg

サハラエリキ第4回友の会を開催いたします。
「次の出発」を目指してエリキツアーの情報を得たい方、トゥアレグの伝統、音楽やライフスタイルに興味ある方など歓迎しております。
お気軽にお越し下さい。

更新:開催時刻は19時→21時に変更されました!でもツアーのことなら私は18時からいます。


2011年10月24日(月)、19時〜21時、東京(明治神宮前)free charge

19時〜20時 BAR BONOBO /2F  
アルジェリア南部、ジャネットで行うエリキキャラバンを紹介します。

20時〜21時 BAR BONOBO/ 1 F  
サハラ砂漠、トゥアレグ音楽 ( by alissa)

ボノボは明治神宮前にある独特な雰囲気の一軒家のバーです。入り口に、ワンタンとうどん屋さんがあって、奥に入ると、ボノボのバーがあります。2階に上がりますと、畳の部屋があります。


Bar bonobo
渋谷区神宮前2-23-4   2-23-4 Jingumae Shibuya-ku Tokyo
contact:  alissa 090 41 59-97 85

bonobo_map.jpg

2011.10.15

トゥアレグの伝統、サベイバ祭


19.jpg

「モーセの奇跡」

日没の祈りの後、オアシスは遠くから響く唄に呼ばれる。今日はイスラム暦のモハラム第一月の10日である。アーシューラと呼ばれるこの祭日は、モーセはヘブライ人を奴隷化から解放させるためにエジプトのファラオ軍と勝利した日で、ユダヤとムスリムも祝う日である。

アルジェリア南部のジャネットでは、他のトゥアレグ地域やイスラム政界にない、ユニークな形でアーシューラを祝っている。伝統によって、ジャネットで対抗した二つの部族は「モーセの奇跡」と聞いたこの日以来、平和を結んで、サベイバ祭を祝うことになったという。

古代に、リビアの砂漠から「空を飛ぶ馬車」に引っ張られて、ジャネットの城壁にモーセの奇跡を知らせるガラマンテス人がいたのか。タッシリ台地の岩絵はジャネットの存在が紀元前6000年と証明する。しかし、それ以外ジャネットの源のことも、サベイバ祭の起源も想像を自由にめぐらせる謎である。

 

祭のリハーサル

冷えた冬の夜に、女性たちはストーブのそばで準備を整えている。祭の最後のリハーサルを見に行くために、女たちは適当にパジャマの上に豪華なインディゴのショールを全身巻いて、真っ暗な夜に出かけた。オアシスの細い砂道に、近所の女性たちは挨拶を交わし、歌の響きに向かって歩く。街灯にかすかに照らされた白いトヨタのランドクルー何台か祭りの入り口を示す。広場の右の角に、ジーパンと帽を被る少年たちはゴミ箱の中につけた火の周りに身を暖めている。隣に、小学校の白い壁にもたれて座った女性たちのグループは一つの影になって、時々、鮮やかなピンクやきらきらの金がフラッシュの閃光に照らされる。反対側に、トゥアレグの男たちの細長い姿は腕を伸ばして、観光客のフラッシュがあるのをいいことに、舞台をノキアの携帯電話で祭りを撮影しようとしている。機材が整った外人のジャーナリストも少なくはない。皆は写真やビデオを撮り、妙な景色を表していた。舞台の輪の外側は09年のジャネットの様子で、輪の中は、モーセは勝利した古代エジプト王のファラオに対する戦いを蘇る紀元前1200年くらいの様子であった。

戦争そして和解する部族を演じるサベイバ時代劇では、男たちは踊る戦士の軍隊、女性たちは太鼓を叩くファンファーレ、そして戦士をほめそやす女性のコーラスがある。老人一人にリードされる軍隊はゆっくりと広場の周りに踊り移り、太鼓を叩く老女たちの軍は敵意を指揮しているように男たちの後を追っていく。列に並んで、コーラスの女性たちは戦いを見つめながら「Heleila Sbeiba」を歌い、それに合わせて、戦士が剣を右手に、スカーフを左手に、妙な振り付けで踊っている。6日前から始まったアゼルアズ村落のリハーサルでは、本番のために限られたダンサーとミュージシャンが選択される。夜がふけることに連れ、フラッシュが消え、本来の暗夜の下で練習が続く。ヘレイラ、サベイバ、ラマレイラ、サベイバ。女性の誉め歌は柔らかくなり、リズムも遅くなり、剣の踊りがトランスになる。軍隊から突き出た戦士一人が女性のコーラスラインの前に止まり、剣を天に上げた。暗いターバンに目しか見えない男は、ガンガ、ガンガと地面を踏み、女性たちの平然とした眼差しの下で、見えない敵に向かって鋭い刃を空気に剣を躍らせた。そして突然方向を変え、彼は剣をスカーフの暖かい布に付き込んでから、 再び戦場の騒ぎに戻った 。

 

平和の日

強い風が吹いている。モーセの足元の下に開かれた紅海のように、乾いた氾濫地の川床は昔戦った部族の和解の舞台になる。かつて敵だったジャネットの二つの部族は今でも存在している北のアゼルアズ村と南のエルミハン村のトゥアレグである。曇った空の下で、仮面を被る戦士は、両岸に50mあまりを隔たり夫々の村側に立って、向き合っている。彼らの後は女性の連隊は立っている。老女一人は儀式の太鼓を叩くとキックオフを与える。戦士は先祖の歌に圧倒されるにつれ、剣をあげて踊り、ほこりを舞い上げながら走り、反対岸に向かって進む。舞台の外側に集まる群衆はダンサーが通る度に、男性はYIHIHIを叫び、女性は舌でゆゆゆゆゆと上げ、舞台の中ではアルジェリアテレビ局は公人をインタービュしようとし、20人ほどのジャーナリストは大騒ぎであちこち走り回り写真を撮ろうとしている。しかし、トゥアレグの老人は性悪で、望ましくないアラブ人や西洋人を一生懸命押し返そうとしている。前世紀のファッションを追う額まで畳んだベールの老人一人が私に向けて、「どけ!」と手で追い出した。彼が覚えた唯一のフランス語の言葉は、フランス軍が原住民に対して使っていた「ドケ」であった。この老人には、皆が勝手に入っていた舞台はモーセの奇跡の紅海であった。それで私たち外国人の介入は許されないことは当然であった。背後に立っている老女たちも、若い世代を指導していた。この祭の風刺詩と賛辞詩を後世へ伝えた女性たちは生きている記憶であった。それで、トゥアレグ伝統の保護者であった。

激しい戦いの後、男たちは袖を広げて、ゆっくりと氾濫地を回った。この踊りはなんと穏やか、なんと安かだった。白いベールを仮面にする男たちは、ヴェネツィアのカーニバルを思いさせた。戦争と平和を共に演じる剣とスカーフを振り付ける男たちは、最後の踊りで、顔を完全に隠しながらトランス状態になり、彼らの熱心はほこりと砂と風に混ざり、皆の心を奪った。祭が終わると、群衆は舞台の中に入り、女性や男性を誉めたり、一緒に写真を撮ったりする。戦士は仮面やベールを外すと、あれ、ここはコックのイブラヒムだ、あ、あっちちはラクダ使いのモハメッド、あそこ空港の警察官じゃない!と驚き驚きである。そして皆は挨拶を交わしながら、ゆっくりと、イジェリウの氾濫地に散らかって去った。

 

ユダヤ、イスラムとクリスト教の予言者

私の始めて見たサベイバ祭は、2009年1月の上旬だった。イズラエルが攻撃したガザの紛争と共に始まった。パレスチナ側何百人の市民が犠牲になったこの攻撃に反して、沢山のトゥアレグはイスラム同士の連帯感を抱いてサベイバ祭を祝わなかった。又、モハメッド(ムハンマド)預言者の孫息子を悔やみ、二日間という断食を守る人たちも祭りに参加しなかった。古代から行うサベイバ祭は、人の解釈やイスラム派によって、喜びや喪、部族的な儀式や宗教的な儀式になっているという複雑な祭である。しかし、サベイバの起源は、宗教以上の神秘的な祝いである:自分の民を奴隷化から救ったモーセの勝利、支配された者の支配者に対する勝利である。この聖なる日は、元々ユダヤ人が祝ったヨムキプール(偉大許し)祭であり、その後モハメッドにも適応されたことによって、イスラムの「アシューラ祭」ともなった。こうやって、バイブル、コーランとトーラに描かれている一人の予言者がいる。サハラ砂漠を40年間も横断したモーセは、古代ジャネットの伝統に残ることは、どこか大事な意味があると思った。それはサベイバ祭が行う限り、ジャネットで平和が残ることだ。


→ 写真ギャラリー

→ サベイバ祭を体験したい方へ

イスラム暦とジャネットの老人たちが決めることによって、サベイバの日は毎年変わります。

2011年は、11月末〜12月初旬に行う予定である。リハーサルは8日間がかかり、本番は一日だけである。タッシリナジェールのラクダ乗りキャラバン、又台地の岩絵巡りツアーと組むことができます。→次の出発

2011.10.13

Taghlemt

Ma premiere experience en caravane de sel, en 1998...

Une femme au Ténéré
avec la "caravane du sel", de Fachi - Bilma

Par Alissa Descotes-Toyosaki
Article paru dans le Saharien N° 194

J'ai acheté 3 chameaux, ainsi qu'on me l'avait conseillé. Parce que c'était moins cher que d'en louer, et surtout parce que ça mettait de l'ambiance dans les préparatifs de départ. On pouvait toujours essayer de me décourager en m'invoquant les dangers de la soif, la fatigue, le froid, le chaud, le sable, le vent, les scorpions, bref le désert ; je pouvais à présent couper la parole à tous et dire : « J'ai acheté 3 chameaux cette semaine ». Restaient les personnes qui, dans leur bienveillante ignorance, essayaient de me faire réaliser le péril que j'encourais à voyager en plein désert, seule avec des chameaux et surtout des hommes. Je ne trouvais aucun argument justifiant ma conduite ni mon absolue confiance en ces hommes là, et souvent ma réponse ne faisait qu'embrouiller l'esprit de mes interlocuteurs. J'affichais en fait un franc mépris pour ces considérations futiles, et aussi une colère mal maîtrisée envers des gens qui non seulement cherchaient à me faire peur mais qui souillaient de leurs préoccupations sexuelles la pure image de mon voyage en caravane.

Le départ ne cesse d'être reporté. On me dit que c'est difficile de trouver un guide parlant le français qui accepterait à un prix normal de traverser la moitié du Ténéré à chameau. En fin de compte, on me présenta le guide Amoumane, un grand gars à l'allure un peu molle mais qui parlait français. Il me déplut, mais que faire ? Il fallait s'efforcer de croire que ça serait un bon guide et un bon compagnon. L'essentiel était de partir car le temps courait et le meilleur moment des caravanes, c'était maintenant.

lire la suite sur le site de La Rahla → le Saharien194

2011.09.01

アルジェリアまで日程表(フライト)

DSCN0335.JPG

以下はDJさんによる旅行日程表の案です。

日本の発着日は毎週、金→月になります。


このフライト日程は、東京→パリ→アルジェ→ジャネット。日本からアルジェリアまでドハ経由も可能です(カタール航空)。

尚、ALGER→DJANETのみを要約したい方は、アルジェリア航空のサイトにオンライン要約ができます。

 

11/04(金)

21:55発 NRT 東京   AF 277    (AIR FRANCE)

 

11/05(土)

04:20着 CDG パリ

14:00発  CDG パリ      AH 1001    (AIR ALGERIE)

16:15着  ALG アルジェ

21:30発  ALG アルジェ  AH6292

23:20着  DJG ジャネット

 

11/13(日)

00:15発  DJG ジャネットAH6292

04:30着  ALG アルジェ (タマンラセット経由)

07:35発  ALG アルジェ AH1002

10:05着  CDG パリ

23:20  CDG パリ   AF 278

 

11/14(月)

19:15着 NRT 東京

 

航空券代金 ¥243,000(空港諸税・燃油チャージ等込)

お気軽にDJさんに問い合わせ下さい。

株式会社デスティナションジャポン

東京都港区新橋6−11−13 ル・グラシエルビル7F

TEL: 03-5408-7710  FAX: 03-5408-0013

キャラバン次の出発 2011-12年

1228138416.jpg

アルジェリア、タッシリナジェールへの出発 (2011〜12年):

11月05日〜11月13日  エリキキャラバン (ジャネット)

 

11月26日〜12月04日  SPECIAL!! エリキキャラバン+サベイバ祭(ジャネット、祭の日は12月1日当たりです)

→12月24日〜01月02日 +12月31日〜1月08日 SPECIAL!! 15日間。エリキキャラバン+タッシリ台地(ジャネット)一週間も可。

→01月28日〜02月05日 エリキキャラバン (ジャネット)

→02月11日〜02月19日 エリキタッシリ (ジャネット)

 

その他の出発日も可能です。直接に問い合わせて下さい。→ 日本にいます(アリサ)090 4159-9785

  • アルジェリアの治安に関して、南北は2000キロ離れており、またリビアでの暴動はアルジェリア、とりわけサハラ砂漠と関係ありません。
    参考のため、フランスのツアーオペレターも今年の10月からタッシリナージェルでいつものようにツアーを行うことになりました。
  • ジャネットまでアルジェからアルジェリア航空になります。アルジェまで、パリ経由もしくはドハ経由になります。
  • フライト情報に関しては、DJさんに問い合わせてください: 旅行代理店デスティナションジャポン ( DESTINATION JAPON ) tel: 03 5408 7710
  • ツアーの料金は参加人数によって変わります。(8日間、およそ1000ユーロです)。メールで問い合わせてください。
    注意!! 1名だけ応募が多いため、サハラ・エリキは今までの1名当たり料金を提案することが難しくなっています。基本的に、申し込みの時の人数によって、料金を計算されます。1名の申し込みだと、1名の料金になり、3名グループの申し込みは3名の料金になります。従って、安い料金にして頂きたい場合、エリキに最低2名のグループで申し込んで下さい!ご了承下さい。
  • 少人数の場合、通訳(日仏や英日)が同行しませんが、英語の少し通じるコックがお世話していただけます。通訳も追加料金で付けることが可能です。
  • ホテル付きのエリキツアー(パッケジ)を企画するdososhinへ問い合わせてください: 旅行代理店道祖神 tel: 0120-184-922

エリキツアーに参加することによって、あなたは「らくだオーナープラン」を支えていることになります。

2011.08.02

フジロック、ティナリウェン


















フジロックの一日、、、トイレ前の列は印象的だった

今回、サハラ砂漠出身のトゥアレグのバンド、ティナリウェンが4年ぶり来日した。
ベルリンから昼に出て、翌日の朝9時に成田に着き、 16時に演奏し、翌日の20時、パリ、そしてマリのサハラ砂漠に帰るという強力なスケジュールである。
アメリカで2週間のツアーの後、ヨーロッパに一回戻った彼らは、時差はめちゃくちゃな状態で日本に到着した。ゾンビだ。しかも、メインの歌手のイブラヒムが数日前病気になって、一緒ではない。
2年前も、イブラヒムが病気で東京のライブは当日より3日前キャンセルになっていた、、近年、激しいワールドツアーの終わりに来るティナリウェンは日本との縁が、悪いね。

霞の中の山に沿って、4時間後にフジロックに着く。便が遅れて、ホテルのチェックインも昼食する時間もなく、演奏の時間を待っているだけだ。タバコ、お茶、タバコ、お茶、、
バックステージで、パーカッションのサヒドは、カセットコンロの上にトゥアレグお茶を作っている。そして時々、頭を下げて、両手で耳を被っている。ステージでは、耐えづらいガンガンガンのテクノ音は、ずっと響いている。

ギタリストのアブダッラはその間、イスラムの小さい絨毯の上で静かに祈っている。先、日本の雨空に一生懸命東を探していたアブダッラは、メッカーが日本より西と気付き、途中で祈りの方向を変えって可笑しかった。彼はメンバーの中で一番信仰深いだ。

やっと着替える時間がきて、砂漠の男たちは鮮やかなアフリカのブブ、そして、長いターバンを頭に丁寧に巻いた。疲れた顔に目だけがきらきらと輝き、笑顔も現れた。皆はどんなコンディションでも文句言わない人たちである。貴族の身分だ。
しかし、4人だけの演奏は奇跡なし。ただ皆は一生懸命がんばった分だけで、客は喜んでよかった。往復30時間の航空路、たった1時間の演奏、、
「次、日本に来たら、一ヶ月いたい」 「インシャッラ!」

アルジェリアのタッシリナジェール砂漠で録音した「tassili」の新アルバムは、8月末にリーリスされる。

とりあえず、今日からラマダンだ。
彼らはキダルで家族と過ごす。
私は、バンコクだ。