2007.11.03

アルジェリア旅行, by Aya

9月にエリキキャラバンに行ってきたあやさんの旅行記。同行したひろこさんの写真も素敵です。
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アルジェリアに行った。旅行記を書こうと思ったのだけどなんだか小説みたいになってしまった…

1、理想の家~ハマニの家

ジャ ネットへの飛行機の到着予定は深夜0時35分だった。しかし実際には飛行機はかなり遅れ、飛行場を出てガイドのハマニの家に着いたのは4時半だった。彼の 家に着いて私はかなり驚いた。ドアを開けたらそこがいきなり天井のない部屋だったからだ。天井がなく床は砂で、つまり塀に囲まれてはいるが、ほとんど屋外 と変わらない場所だった。小さな明かりはついていたが辺りは暗かったし、もちろん家全体の構造もわかっていなかったからすべての部屋がその状態であると勘 違いをした。現代のオアシス都市に住むトゥアレグはこんな家に住んでいるんだ!勝手にそう思い込んだ私は、その部屋の砂の上に用意されたマットレスの上で 眠った。空には細い細い月とたくさんの星が輝いていた。心地よく吹く風に抱かれた幸せな眠りだった。
後日、そこは中庭のような場所で、他の部屋には床も天井もあることがわかった。そして天候次第で部屋の中より外の方がはるかに気持ちよい空間になるということも。 >続きを読む


と ころで私には理想の家というものがある。「お金が十分にあって、好きな家に住めるとしたらどんな家に住みたい?」いつだったか友人たちとそんな会話をした ことがある。「芝生の庭のついた広い家」とか「リビングが吹き抜けになっていて屋根裏部屋のある家」とか答える友人たちに混じって私は言った。「コンク リートの部屋」。家ではなく、部屋。一軒家である必要性はまったくない。広さも問わない。むしろ狭いくらいがいい。完全な直角四角形で壁も天井もすべてコ ンクリートでできている。ドアもブリキでできていて木材が一切使われていない。家具は一切なく、床に直にマットレスが置いてある。窓は小さな明かり取りが 一つだけ。
どこかで(たとえば映画や小説で)そんな部屋を見たことがあるわけではない。そのイメージがどこから出てきたのかもわからない。でも少なくとも十数年前には私はそんなことを考えていた。まだ砂漠はおろか、日本を一歩たりとも出たことのない時代に。
翌日お邪魔させてもらったハマニの部屋は、そんな私の理想の部屋にかなり近いものだった。もちろんピンクや緑に塗られた壁や木製のドア、小さいがちゃんとした窓など、細かい点で違いはある。でも基本的な部屋の造りは恐ろしいほどよく似ていた。

* * * * *

  ジャネット到着の翌日、14日にいよいよキャラバンがはじまった。砂漠旅行は経験済みだがキャラバンははじめてだ。過去のラクダとの触れ合いといえば砂漠 でトゥアレグに連れられているのを数m先から眺めたとか動物園で柵越しに目が合ったとかその程度だ。体に触れたことさえ、あったかどうか。
そんな 私の前に15頭のラクダが姿を現した。事前に数を聞いてはいたものの、その存在感に圧倒され呆然とする私の前で、ハマニとコックのハアミド、ラクダ使いの ウィシャが手際よくラクダに荷物を積んでいく。実際にはこの時の私は半ば放心状態で眺めていただけなのだが、その後何度も眺めることになった荷物積みの記 憶と合わせて再現してみる。
15頭のラクダのうち荷物を乗せられるのは5頭。彼らにはまず荷物を乗せるための枠を置く。その上に毛布などの布を置 く。その後本格的に積み荷開始。最初に水など一番重い荷物を左右から同時に乗せる。その上にバランスを取りながら更に荷物を重ねる。中心にも荷物を乗せ、 紐で押さえたら完了。この間ラクダは不服そうに鳴いている。しかし積み終わると己の宿命だと諦めるのかたいていおとなしくなる。
あとの5頭には人間が乗るための鞍をつける。残りは荷物用の枠だけ乗せたり何も乗せなかったり、要するに特にお仕事はしていない。年齢とかキャラバンに入ってからの期間とか、たぶんそんな理由なんだと思う。
そうこうしているうちに荷物はすべてラクダの上へ。重くなったラクダを順に立ち上がらせて、いよいよ出発。
というわけで私にも一頭のラクダの手綱が手渡される。後で聞いたのだが彼の名前はアアジャガというらしい。いざ隣に立ってみるとラクダは思ってた以上に大きい。2m以上はある。見下ろされる感じでちょっと怖い。と思っていると無言のうちにハマニたちは出発開始。
「え? いきなり?っていうか歩くんだ。じゃなくて、どうやって持てばいいの?」と私は一人で大パニック。しかし当然ながらアアジャガは悠然と立っている。そして 周りのラクダが歩き出したのを見て、勝手に歩き始める。慌てて私も歩く。この瞬間、私とアアジャガの上下関係は決まったのかもしれない。一応私が前に立っ てはいるが私が引っ張っているわけでは決してなく、ラクダが勝手に歩いているというのが正しい表現だと思う。

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  ここからしばらく手綱を持ちながら山道を進むことになるのだが、その間私は佐々木倫子の漫画『動物のお医者さん』を思い出していた。ハムテルたち、馬の機 嫌を伺うな!って怒られてたよなぁ。あの時のハムテルたちも今の私のようにびくびくしてたのかな。そういえば小林君は馬(牛だったかも)に髪の毛毟られた んだよね。干し草に似ておいしそうに見えたから。ラクダは食べないかなぁ。あ、でも私は今サーシャ(タルバン)巻いてるから大丈夫かな。なんてどうでもい いことを考えていた。
そんなことを思っている間にも私たちはかなり険しい山道を進んでいた。全体は岩に囲まれていて、足下には大小の石が転がって いる。注意しないと滑ったり引っかかったり、ケガをする要素はいくらでもある。しかも前後にラクダがいるわけで、もし転んだら踏みつぶされそうな恐怖感が ある。周りの景色を見る余裕もなく、ただひたすら進む。
途中で一頭のラクダが不服そうな鳴き声をあげて進まなくなった。ウィシャたちが叱っている間、私と同行者のHさんは休憩。やっと後ろを振り返ることができた。風に当たりながらHさんが言った。
「アーヤさんに質問。こんな内容だって知ってたら参加した?」
私の答えはYESだが、いきなりこんなにハードだと思っていなかったのは確かだ。でもそんなことを話しながら眺めている景色は岩の間に砂地が見え、とてもきれいだった。

 * * * * *

ラ クダにも性格がある。と言ったら人はどう思うのか。長年ペットを飼っている人はそんなの当然と言うかもしれない。でもあいにく私はペットと縁遠い生活を 送ってきた。携帯の待受に愛犬の写真を嬉しげに載せている人の気持ちがどうしても理解できない冷血人間だ。そんな私だが、やっぱりラクダには性格があると 思う。
私の乗ったアアジャガ君は食いしん坊なのか私がなめられていたのか、やたらと脱線をした。おいしそうな草があれば立ち止まり、どんな気まぐれか意味もなく隊列から離れていく。
乗 り方が悪いのだと思いたったのがラクダに慣れた3日目のこと。(←遅い)ハマニやハアミドの乗る姿を研究してわかった。基本的に足を使うのだ。首の後ろに 置く足の位置を前目に持っていき、ラクダの揺れに合わせてリズミカルに動かす。足の短い私はどうやっても彼らの置いている位置には届かないが、できるだけ 前で足を動かしてみる。うまくいった。気持ちスピードも上がり、格段に寄り道が減った。
それでも歩き疲れてくるとラクダも誘惑に弱くなる。草を見 てはふらふら列を離れたがる。一度草を食べ始めるともう私の言うことなんて聞いてくれない。だから草を視界に入れないように歩かせること考えた。まずは足 を使い、それでダメなら手綱を使う。そんなことをしていたら最後には、アアジャガ君の好みの草がだいたいわかるようになっていた。

 * * * * *

砂 漠で食べるごはんはおいしい。でもそれが場所のせいなのか、食事自体がおいしいのか。これはいまだに解くことのできない謎である。なぜなら日本で砂漠の 料理を食べられないから。でも帰国して日本食(というか洋食なども含め日本で食べる食事全般)を食べると必ずおいしくないと思う。砂漠の食事はあんなにお いしかったのに、と。何を食べても物足りない感じがする。だから作り方を覚えたいと思っていたのだが、全然うまくいかなかった。
その主な要因は太 陽にある。キャラバンが終わるのは日が傾き始めた頃。キャンプ地を決めると日が落ちるまでそう長くはない。だから私は辺りをふらふら散歩してしまう。そし て特等席を見つけ、日没を鑑賞。戻る頃には鍋にはしっかりと蓋がされ、後は火が通るのを待つばかりになってしまっている。
ある日このままじゃいけ ないと思い散歩をせずに眺めていたのだが、トマトを切ったりにんにくを潰したり、そんな当たり前のことしかやっていない。調味料も変わったものを使ってい る様子はない。ハアミドに聞いてもあまりちゃんとした答えが返ってこない。例えば昼食の度に彼が手作りしてくれたドレッシング。今まで食べた中で一番おい しかった。
何が入っているの?の問いに「にんにくとオリーブオイルと油」。でも絶対それだけじゃない。
「それだけ?」うんうん。「他には?」うんうん。って…嘘だぁ。
私の舌が正しければその他に塩コショウとごま。もしかしたらタマネギのすりおろしも入っていたかもしれない。
そんなわけでレシピはよくわからないけど食事はだいたいこんな感じだった。
朝は毎日同じでパン(またはトゲラ←後述)、バター、チーズ、ジャム、カフェオレ。
昼 はパンとサラダ(トマト、キャベツ、きゅうり、タマネギ、ジャガイモ、オリーブ、ツナ、オイルサーディン、豆など)が中心でドレッシングをかけて食べる。 でもインゲンとタマネギと卵を炒め、すりおろしたチーズをのせるなんて料理やライスサラダも出た。何回かデザートにリンゴも出た。
一番豪華なのは 夜。パンの他に2皿。ショルバ(飲み物)とメインだけど私に言わせるとメイン2皿に近い。なぜならショルバにも米やマカロニや豆が入っていてかなりボ リュームがある。トマトベースのものが多く、にんにくがたっぷり入っていた。メインも煮込み物で羊肉とジャガイモもの煮込みとか、パスタ(トマト味)なん かもある。日によって缶詰めのパイナップルなんかも出た。

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というように食事は全体的にかなりボリュームがある。その他食事前にナツメヤシやお菓子なんかも出されるけどこれを食べてたらとても食事は食べられない。
ただ野菜がふんだんに使われていて、かつ豆などの良質なタンパク質をたくさん摂取するので相当お腹いっぱい食べても太らない。実際私は初日にちょうどよかったジーンズを最終日に再び履いたら緩くなっていた。
そ して食事の後のお楽しみはお茶。とても濃くて甘いお茶を入れてくれる。ポットからコップへ何度も移動させ、泡をたくさん作れば作るほどまろやかでおいしい お茶になる。その苦さ&甘さにはじめては驚くが慣れるとやみつきになる。時々どうしても飲みたくなって日本で通常の何倍も茶葉を入れた濃いお茶を煎れ、で きる限り泡立たせて、ありえないくらいの砂糖を入れて飲む。でも茶葉が違うのか入れ方が悪いのかあるいは日本という場所が問題なのか、砂漠でのお茶とは まったく味が違ってしまう。

トゲラについて
一言で言うと炭で焼いたパン。私はこの言葉を知っていたけど今まで見たことがなかっ た。今回はじめて食べたが普通のパンの何倍もおいしい。作り方は粉と水をよく混ぜ、平たくて丸い形を作る。それを火をおこして熱くなった砂に埋める。途中 で一度ひっくり返す。焼きあがったら砂を払い、更に水で砂を落としてできあがり。外はパリパリ、中はもちもち。

最後に今回気づいたのだ が、トゥアレグの食事にはスパイス系の刺激物が少ない。Hさんが持って行ったインスタントのカレーピラフを食べたハマニが辛い辛いと言っていた。そういえ ばカレーをまったく食べたことのない原住民にインドのスパイスたっぷりのカレーを食べさせるとショック状態になると聞いたことがある。砂漠で日本食が食べ たくなったことは一度もないけど、帰りの飛行機で決まってインスタントラーメンやレトルトカレーが食べたくなるのはそのせいかもしれない。

 * * * * *

行って何するの?砂漠に行くと言うと頻繁にこんな質問をされる。
風を感じ、太陽を見る。または星に抱かれ、月を眺める。あるいは…。
この気持ちを人にわかるように説明することなど私にはできそうもない。あえていうならば、砂漠にある自然物も人工物も、人もその他の生命も、もっといえばどこかに存在するかもしれない目に見えないなにかも、すべてを感じる。
私 が砂漠で一番見ているもの。それは月だ。砂漠で見る月はなんでこんなにも美しいのだろう。星がきれいなのは理解できる。日本ではほんのわずかの星しか見る ことができない。しかし砂漠では知っている星座さえもどれだかわからないくらいにたくさんの星が見える。だから美しい。それは納得できる。でも月は日本で も見ることができる。色も形も基本的には変わらないはずだ。にも関わらず、まったく別のもののように美しい。
砂漠で見る月はほかの何よりも強い存在感がある。無視することはできないし、見てしまったら視線を離すことができなくなる。
同 じように砂漠で強い存在感を放っているもの。それは太陽だ。私は今まで夏の砂漠に行ったことがなかった。だから本当に強い太陽というものを見たことがな かったような気がする。今回らくだに乗って午前中は太陽を背に、午後は太陽を斜め前方から受けながら旅をすることで、世界は太陽を中心に回っているのだと 強く感じた。太陽に従って移動し、また休息する。それが本来の人間の自然の姿だと、言葉ではなく体で感じることができた。人は太陽によって生きる力を得る ことができる。
そして太陽が生命の営みの象徴であるならば、月は死者の象徴である。といってもネガティブな意味では決してない。古来すべての生物 は生と死を繰り返して歴史を刻んできた。一つの生命は次の世代へと受け継がれ、一人の思いはだれかの心の中で生きつづける。月は人と自分を繋ぐ光であり、 また自分の心を映す鏡でもある。
だから私は毎晩月を眺めた。細かった下弦の月が半円になる様を、飽きることなく見つめつづけた。

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前世というものが存在するのかしないのか。私はその答えを知らないし、証明することもできない。でも私は信じる。私の中には私のものではない記憶が眠っている。他人に信じてもらえるとは思わないし、信じてほしいとも思わない。でも私は確かにその存在を感じている。
オ アシスエセンディレンへ向かったのはキャラバンをはじめてから6日目のことだ。日の出と共に起きる生活をすでに日常のように感じるようになっていた。出発 前に撫でたアアジャガの首は、ずっと昔から続けてきたように私の手のひらに馴染む。人間の感覚なんていい加減なものだ。たった数日前までただ手綱を持つだ けであんなに緊張していたというのに。今私の手の中にあるアアジャガの体は私に心地よい安心感を与える。
その感覚は出発してまもなく私の中に宿っ た。それは体の中から湧き出てくるような押さえようのない高揚感だ。きっかけがあったわけではない。木なら前夜のキャンプ地にも生えていた。両側に聳え立 つ岩はこの旅が始まって以来、常に視界に入っていた。しかし私の中のなにかはその景色に激しく反応し、オアシスに着くまでの間中私を支配し続けた。
それがなんであるのか。わかった(と私が思った)のはオアシスに着いてすぐのことだった。
なにを思うより前に私のなかにイメージが入り込んできた。聳える巨大な岩と岩の隙間からちょろちょろと流れ出る水。木々のざわめき。小鳥やヤギの鳴き声。重なり合うようにして立つ岩の間に空いた狭い空間。その中で生活する人々。どこからか微かに人の笑い声が聞こえる。
これは現実ではない。そのとき実際に私が目にしたのは岩と木々。そして小鳥の鳴き声だけだ。流れ出る水も岩の隙間もなかったし、人の声も聞こえなかった。しかし私の中に芽生えた映像はあまりに鮮明で、強烈だった。
私はここを知っている。私は思った。自分は前世でここに住んでいたに違いないと確信した。だが内側から溢れでるようなその感覚はすぐに消えてしまった。茂る草木。さえずる鳥。井戸横に咲く可憐な花。なにを見てもその瞬間の感覚は蘇らなかった。
その後オアシスに住む老人が池へと案内してくれた。2m四方程度の小さな池。日本で見たら気にも留めないだろう代物がそのときの私には奇跡のように見えた。嬉しそうに水を飲むらくだを見て楽園という言葉を思い出しさえした。
この場所で私が感じたことが事実でもそうでなくても、私にとって特別な場所になったことだけは確かだ。

 

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